ワイワイブログ

畢竟独自の見解

メタ倫①

※ワイの備忘録及び復習を兼ねて、某講義で取ったノートを片手にメタ倫理について書きつけていきます。(正確性は一切保証しないし用語法もある程度テキトーです)

 

メタ倫理学は「べき」についての学問。難しく言うと当為言明の解明。

こう言うとメタ倫は法哲学に興味ある勢としては大事だなあと思う(小並)。法律って大概「~べき」って規定されてるし。ほんで、メタ倫理学の理論動機に引き付けて言えば、法は「…は~すべき」っていう当為命題の形だけど、この命題が真理値を持つ(真であったり偽であったりすることができる)といえるのかというのは法律学にとってクリティカルな疑問。仮にそういう法命題が真理値を持たないとすると、法律学が無意味なものになってしまうような気がする。こわ。

そこで、メタ倫理学を勉強する動機付けがある。(何様)

 

まず、最初におさえておくべきなのが二つの命題態度(ある命題を対象とする態度)の違いについて。

信念(believe)⇔欲求(desire)

信念は、世界の事態によって真偽が決まってしまう態度のこと。たとえば、「ワイは民法の単位をとれている(=Believe(ワイは会社法の単位をとれている))」というワイの信念は、実際に民法の単位が来たかどうかによって真偽が決まることになる。実際に単位があれば「ワイは民法の単位をとれている」という信念は真だったことになるし、なければその信念は間違っていたことになる。

世界の事態に対して自分を適合させようとするので、世界の事態について「認知的」な態度。

 

逆に欲求は、世界の事態によっては真偽が決まらない態度のこと。たとえば、「あ~明日会社法休講になってくれ~(=Desire(明日会社法が休講になる))」という欲求は、明日実際に会社法が休講になったかどうかで真であったり偽であったりしない。まあ当たり前だよね。会社法が休講にならなかったからと言って、「お前昨日あ~会社法休講になってくれ~って言ってたけどあれ間違いだったな」ってならないでしょ。そういうやつがいたらそいつは日本語の分からないバカ

世界の事態に自分を合わせようとしない態度なので、「非認知的」な態度。

 

この二つの命題態度の違いを踏まえたうえで、道徳的な判断についてこの二パターンを考えてみると、、、

「あるロー生が勉強もせずに法哲学の本ばっかり読んている」という状況を見たとき、たいていの人は「あっ、あいつ悪いやつやな」という道徳判断をするだろう(ワイはここで絶命)。この道徳判断をしたときにあなたはどういう命題態度を採っているのかを分析する際、「認知主義」と「非認知主義」という二つの陣営のどちらに与するかを考える。

認知主義陣営に与する場合、このときの命題態度はBelieve(あいつは悪いやつ)だと分析されることになる。こう考えた場合、世界に「あいつは悪いやつ」か否かという事態がありえて、それによって自分の「あっ、あいつ悪いやつやな」という判断の真偽が左右されることを認めることになる。

非認知主義陣営に与する場合、このときの命題態度はDesire(あいつは悪いやつ)だと分析される。こう考えた場合、本当にあいつが悪いやつかはどうでもよく、仮に「あっ、あいつ悪いやつやな」と言った際に誰かが「いや、あいつは悪くない、最高」と言ったとしても「お前がそういうならそうなんだろう、お前の中ではな」と言える。

 

さらにこれを道徳的な「べき」判断としてみると、、、

認知主義陣営に与すると、「あいつは法哲学本ばっか読んでないで勉強すべきだ!」という「べき」判断はBelieve(あいつは勉強すべき)であるといえ、この場合「あいつは勉強すべき」という当為命題が存在し、真理値を持ちうるということを受け入れることになる。

他方、非認知主義陣営からすると、この「べき」判断はDesire(あいつが勉強する)であると分析できるだろう。この場合、われわれがしている「べき」判断は「あいつが勉強する」というような事実命題を対象とする態度に過ぎないのであって、ここに当為命題は現れないし、「べき」判断が真理値を持つことはないと考えることになる。

さて、このように見た場合、我々の「べき」判断はどちらの陣営の分析のほうがイイカンジだろうか。認知主義陣営に与すると、当為命題の存在を認めることになるので、この「べき」という我々の判断が世界の何らかの事態によって真だとか偽だとかになるということを受け入れる必要がある。だがそんなことは可能だろうか?

非認知主義陣営に与すると、当為命題の存在は認めなくてよくなるが、我々が普段なしている「…は~すべきだ!」という「べき」判断は全部desireに過ぎず、そういう我々の判断は真偽を問うことが無意味ということになる。しかし「…は~すべきである」という当為命題の存在について我々は普通に受け入れて生活しているように思えるし、我々は自分が「あっ、あいつ~すべきだ」というときにはこの判断は正しいと思っているのではないだろうか。

さあ!君はどちらの陣営につくか!!!!???!??!?

 

長くなってきたので次回に続く