ワイワイブログ

畢竟独自の見解

KMRSUT先生は最高ブログ

前にこんなことをつぶやいたことがあります。

まあこれは適当に言っただけで、憲法の急所を前に読んだ時の印象と、『「公法訴訟」論の可能性』NKGW先生発言の内容が似てるなあと思ったんですよね。ということで、いったいどんなもんじゃいと思って木村草太憲法判断の方法ーー「それでもなお」の憲法理論」『現代立憲主義の諸相(上)』所収を読んでみました。結果、整合的かは微妙だったので保留だけどKMR先生攻めててオモシロすぎということが分かったので紹介したいと思います。

読んだ私(´-`).。oO(KMR先生、攻めすぎ…カッコイイ…

 

以下、とりあえず気になった箇所のご紹介とわたしの小学生並みの感想です。

「…こうした各種訴訟における当事者の違憲の主張を、憲法上の権利に関する争訟の裁断を求める訴えだと理解し、裁判所は、当事者の憲法上の権利にかかわる部分については応答義務があると解釈することで、現行の訴訟法においても、〈憲法上の争訟について裁判を受ける権利〉が具体化されている、と理解することもできる。もちろん、こうした裁判所の応答義務は、民事訴訟法や刑事訴訟法に明文で規定されたものではない。しかし、訴訟法は、憲法32条の保障する権利を具体化する法律であり、そうした義務があるとの解釈は極めて自然なものといえよう。…」(p511)

 

(´-`).。oO(「憲法上の」争訟についてと限っても問題ないのかあ…法律上の権利はどうなんだ…でも憲法の位相ではまだ「法律上の」権利なんて概念不可ってことなんかいなあ…意外と問題なさそう。ただ「極めて自然なものといえよう」ってのはマジか…?

「…確かに、行政機関の行為には、いわゆる根拠規範や規制規範なしになされるものもあるが、それらも組織規範に基礎づけられた行為であることを忘れてはならない。行政機関の行為は、少なくともすべて組織法令の適用行為だといえる。…」(p518注(8))

(´-`).。oO(KMR先生は全部留保説だぜ、っていうのは憲法の急所の感想としてよく言われていることだけど(当社調べ)、これはまたみんなが考えてる立ち位置とは違う場所に立っているという感じだ、こういう考えにはじめてふれたなあ。言われてみるとほーんと思っちゃうけど実際のとこどうなんだろう。(行政法学的な意味で

 

「…第三者所有物没収事件判決について「関税法旧118条1項それ自体に問題があったのではな」いから、「処分違憲」判決として理解すべきだとする。確かに、手続保障の瑕疵は、実体法(関税法)ではなく、刑事訴訟法に起因するとの理解も不可能ではない。しかし、そのように考えるなら、同判決は、刑事訴訟法の部分無効判決だと理解すべきであり、それを「処分違憲」の例とするのは誤っている。…」(p519注(14))

(´-`).。oO(さっきのKMR先生の行政行為理解からすればこうなるよなあ…そしてここが一番のおどろきポイントだった。『「公法訴訟」論の可能性』NKGW先生発言はこの場合に、憲法と処分が「直接向き合う」として処分違憲としていた。とすると分岐点は全ての行政行為は根拠法律を有するとする理解だなあ。

「…法律の規制対象が広がれば広がるほど、画定し得る目的の重要度は低下し、極端な場合には目的の画定自体が困難になる。…つまり、過度に広範な法律に基づく規制は、どのような行為の規制であれ、目的が自由権制約を正当化するほどに重要ではない、という理由で違憲になる。そうした規制は、通常の目的手段審査によっても、違憲の評価を受けるはずである。したがって、過度広範な法律について、第三者の権利を援用したり、「文面上の審査」なる特殊な審査をしたりする必要はない。…」

 (´-`).。oO(なるほど…

 

 

いかがだったでしょうか。これを今日読んで、薄学非才の身、ハチャメチャにおどろき、そしてすごいと感じた次第です。最後に、法律合憲かつ処分が違憲、という処分違憲の類型が((KMR先生の理論からすれば)理論的にありえない)にも関わらず、「自由保障の最後の砦」を築く可能性があるとしてなおこの類型を認めようとする考えに対し、KMR先生が同論文の最後に述べていることを紹介したいと思います(下線部ワイ)。

「…こうした可能性を追及することも、憲法研究者の一つの重要な役割だろう。しかし、本稿は、「それでもなお」法の一般性・抽象性の「理論を貫く」べきだと考える。民主的統制から独立した裁判官に、固有要素に基づく恩赦権限を付与すれば、法の支配の根底が揺らぐ。憲法的恩赦権が、特定党派の権益のために利用されない保証はない。だからこそ、「処分違憲」概念を否定し、違憲部分を明示しない部分無効を許容せず、「司法」作用としての憲法判断の理論を維持すべきなのである。…」

 アッッッッッ!!!!!!これ進研ゼミ『「公法訴訟」論の可能性』で見たことある!!!!!!

「…やはり私の出発点にあるのは、法律に対する執着といいますか、規範をこの事案に当てはめるから裁判は正当なのだという、一般的なルールに対する執着ですね。行政処分でも裁判でも、個別的事件への処理であるからこそ、大本の法律への執着が必要なのではないかと、そういう気がするのです。…」(『「公法訴訟」論の可能性(2)』NKGW発言 法教No.392 p76)

 こういう点での共通性があるんですね。NKGW先生理論を学ぶ某ローの人ならわかると思いますが、執着ハンパないですからね。(許可の撤回とか、即時強制のとことか)

 

ということで長くなりましたが、KMR先生の最高の論文の紹介でした。

え~では最後に、いま目の前にあった安部公房「壁」から意味わからんけど僕の好きなカッコイイ文章を紹介して〆ようと思います。なぜならかっこいいからです。

「被告が逃げる!」それは第二の法学者の声でした。やはり姿は見えませんでした。「いや、被告は逃げることはできない。壊れたドアから、法廷はどこまでも延長されるのだ。」

~fin~