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畢竟独自の見解

SMDSUICRU先生は最高ブログ

第三者利用の事例における正犯性の議論で、答責領域論、遡及禁止論による説明はよく見ます(あっちゃんとかケンコバとかのやつ)。あんま詳しく書いているのを調べきれずに「まあなんとなーく」の理解でしたが、島田聡一郎先生の不朽の名著、『正犯・共犯論の基礎理論』

 

正犯・共犯論の基礎理論

正犯・共犯論の基礎理論

 

 


にハチャメチャに明快な説明があって感動したので紹介しておきます。

 

「被害者が結果について自律的決定をしている場合に背後者に正犯としての罪責が否定される根拠は、個人を自律的主体として扱う点にあった。⋯人々の規範意識に働きかけることで、構成要件的結果の回避をはかることを目的とする刑法においては、緊急状況にあるとか、錯誤に陥っている等の特別な事情のない限り、個人を自律的な決定ができる主体として尊重することが必要である。自律的主体に対してでなければ、規範意識への働きかけということ自体が成り立たなくなってしまうからである。このことはそのものが処罰されるかどうかに関わりはない。ここでは具体的な当該違法行為にでないようにとの法秩序による期待が問題なのではなく、個人を独立の自律的主体として扱うという、刑法上の規範的要請が問題なのであり、それは刑法の世界に登場するすべての主体に同様に当てはまるべきだからである。そして、わが国のように統一的正犯体系を採用せず、さらに共犯を処罰拡張事由と考えるのであれば、単独正犯論、基本的構成要件該当性の問題は、生じた構成要件的結果について誰が第一次的責任を問われるかの問題として位置づけられる。結果について誰が第一次的罪責を負うかは、前述したように結果から事後的に遡って判断されるのであるから、結果について自律的決定を行っている行為者がいる場合には、当該構成要件的結果はまさにその者の領域において生じ、その者が第一次的責任を負うべきであって、その背後の者の単独正犯性は否定される。」

(p262-263) 

 はい、わかりやすいですね。SMDSUICRU先生は大天才。こういう考えに基づいてあっちゃんは故意犯の背後の正犯を否定してたのか~。(あいまい)

 

そこでワタクシの年来の主張なんですが、過失正犯についても遡及禁止してええんとちゃう?論(たぶんダメ)つまり、答責領域論の大上段からおろしてくる議論が「自律的決定」論に帰着するとすれば、それは過失犯においてもいえないかなということです。なんなら行為支配論に転用したい。ダメかしら。

 てかSMD先生がすでに言ってるのかもしれない、しらん(調べろ)。

 

え~以下では、ワタクシなりの試論を大々的に展開していた学部ゼミ生時代の攻めに攻めた答案(完全にバカ)を一部抜粋しておきます(問題文は省略)。

本件において問題となるのは、当該死亡結果の回避(行動を行う)義務違反があったか否かである。そして結論としてはこれを否定すべきである。なぜなら、後述するように、Xは死亡結果を引き起こした当該過失行為をYにより支配されており、有毒ガスによりOが死亡するという因果経過に対し自律的・具体的に回避行動をとることはできなかったからである。

すなわち、結果回避義務は、具体的状況下においてある結果を防止するために、自律的に行動可能な一般通常人が思い至りえるような一定の回避措置を取りうるといえる場合に肯定できるものであるが、本件においてO死亡結果を回避するために通常人に期待できる回避行動をXはちゃんと行っていると考えられる。たとえば、XにはOを死傷させるような故意はないのであるから、XがYに火焔瓶を作らせたときにOを殺傷する意図がない旨伝えていたということは、Oを死亡に至らしめるような(本件で実際に発生したような)有毒ガスを発生させないような火焔瓶の作成をYに頼んだということを意味するし、火焔瓶により建造物が延焼した場合に発生する煙による一酸化炭素中毒によるO死亡ないし炎による焼死というありうる因果経過については、XにはOを死傷させる意図はないということからも推察できるように、火焔瓶を放り込んだ時点で、Oがそのような因果経過をたどって死亡しないように注意を払っていたはずである(現にそのような因果経過をたどってOは死亡していない)。

このような考えに対しては「火焔瓶を投げない」という回避行動が出来たのではないかとも思えるが、これは放火結果に対応する回避行動とO死亡結果に対応する回避行動を混同しているものであり、妥当でない。

(なお、このように考えたとき、当該過失行為は前述した放火行為と観念的競合の関係に立つような客観的には同一の行為なのであるから、放火行為についてもYの支配が及んでいたのではないかとも思える。しかし行為支配の有無は其々の構成要件毎に、客観的な行為の評価として決定されるのであるから、観念的競合関係に立つ別々の構成要件該当行為が一方は他人に支配されており他方は支配されておらず自律的に行われたものであると考えるのは奇異ではない)

従って、Xは自らに差し向けられた結果回避義務はすでに果たしているのであるから結果回避義務違反がなく、O死亡結果に対する過失は認められない。

 

 

Yの当該行為に対し間接正犯として殺人罪の成立を肯定することが出来るか。

この点、間接正犯も正犯であるから、行為者に正犯性が認められることが必要である。そして前述したように実行行為による構成要件的結果の支配こそが正犯性を基礎づけるから、Yにこの意味における正犯性が認められる必要がある。

本件についてみるに、Xは有毒ガスの発生については不知のまま、まさにYに道具として利用され、火焔瓶を投げ込むことにより有毒ガスを発生させた。ここで、「有毒ガスを発生させる火焔瓶を投げ込む」という「殺人罪の構成要件該当行為」を「誰が行為者として行ったと評価できるのか」がまさに問題になるが、これも前述したようにある身体の動静が「行為」として評価できるのはそれが何者かの自由意思に基づく自律的なものである必要であるところ、本件でXにそのような自律性は全くなく、当該行為はXの行った「行為」とは評価できない。

他方、YはXの不知に基づいた身体の動静をまさに自らの身体の延長として利用することで、「有毒ガスを発生させる火焔瓶を投げ込む」という「殺人罪の構成要件該当行為」を自らの自由意思に基づいて自律的に行った、と評価できる。従って、「有毒ガスを発生させる火焔瓶を投げ込む」という行為をYがまさに「行為者として」行ったのであり、殺人罪の実行行為による構成要件的結果の支配すなわち正犯性がYに認められる。

 

いかがでしょうか、今見ると完全に気が狂ってますね(自画自賛)。井田先生と照沼先生の影響があることがお分かりいただけるかと思います(何様)。

 

体系的共犯論と刑事不法論

体系的共犯論と刑事不法論

 

 

 

 

こういう分野でおすすめの文献があれば教えてクレメンス。