「無道徳者のいわば双対として、道徳判断に於いて誤るが道徳的に正しく行為する主体、というものもありえよう。そのような主体は認知的にはともかく道徳的に有徳(virtuous)なのである。この徳性は行為者(要するに蛋白質の塊であるわけだが)の物理的傾向…
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