ゼットゼットブログ最高ブログ
え~~~~みなさん,ごきげんよう。
今日はワイワイブログの弟ブログである,ゼットゼットブログの中でワイが特に好きな過去エントリを紹介しようと思う。(コンテンツへのフリーライド)
ワイは知ってる人が書いた文章を読むのがとても好きで,この人の文章を読みたいなあと思った人にはブログを書くように強要するのが半ば趣味のようなところがある。
結果,ローでは3人ブログをはじめさせることに成功した。
彼ら彼女らが書いたブログは最速で全て読んでいる自信があるし,なんなら感想を直接伝えている。これによりワイの効用は高まっているのは間違いないのだが,勧めた身としては書いている方はどうなのだろうと心配にもなる。
「今、高校生の僕に「結局現代文書いてる人は何をしたいの」と聞かれたらこう答える気がする。「まあ言ったら好き勝手ブログ書いてるみたいなもんでしょ、お前ブログ書いたことある?楽しいよ。」」
なので,こう書かれてしまうとワイとしてはとても嬉しい気持ちになるし,その旨彼には伝えた。
ちなみに,同じくワイの勧めによりはじめた↓
「ブログを書くというのは人生初めての経験です。今は恥ずかしくもあり、わくわくするような気持ちで書いてます。」
これも嬉しい。なんとなく孫をみるおじいちゃんみたいなあたたかな気持ちになる
上記エントリでも触れているが,ゼットゼットブログにはアイデンティティについて言及する記事が結構ある。
一貫したアイデンティティへのあこがれがある,というのはいかにもふつうという感触だけれど,彼のブログではそれだけではない,言語化しづらい感情が垣間見えるところが良い。ああ,確かにそういう感情ってあるよな,と気づく快楽を与えてくれる。
これは直接的にはアイデンティティについて言及していないが,主題は似たようなところがある。
「フォローしているものが終わる経験を健全に重ねながら、みんな時間の流れを感じて生きていくんだろう。
僕にはいまだに浪人時代の止まった時間感覚が抜けないときがあるんだよ。」
ワイのようにのほほんと生きているような人間にはどうひっくりかえってもこういう文章は書けない。更に言うと,このフレーズを文章の最後にもってくるというのもまた優れた言語感覚を感じる。
さっき紹介した阪急そばの記事,倒置法でたたみかける文章があるが,これは声に出して読みたい日本語であり最高である旨面と向かって激賞したことがあるので紹介したい。
「思わずくぐってしまった。暖簾を。暖簾ってあったっけ阪急そばに。
普通にきざみそば食べた。
しかも大盛を
阪急そばのおばちゃんはちょっと寂しそうではあった。しらんけど。」
リズム感がある。この部分だけ筆者の思考の流れをトレースしているような気持ちよさもある。こういうのも書けるようで書けないよね。
これも非常に優れたエントリで,なんなら一番好きかもしれない。
「先日、ひとり食堂でお盆を抱えながら小鉢を選んでいて、うわあ食堂のサラダ、年々量減ってきてるなぁと思った時、ああこの一年は無駄だと感じました。」
この一文は本当に優れていると思っていて,ワイはこのフレーズを読むときいつも,小沢健二の歌詞について語るタモリのエピソードを思い出す。
タモリ: でもね、よく考えられた作品だよね。あのね、まぁいろいろ優れてるんだけども、俺が一番驚いたのは鹿児島で車でできた作品で『道を行くと、向こうに海が見えて、きれいな風景がある』。そこまでは普通の人は書くんだけれども。それが『永遠に続くと思う』というところがね,それ凄いよ。凄いことなんだよ、あれ。
小沢: ホンっト、ありがとうございます。良かったなぁ、ちゃんと…。ボクは何かね、聴いてて、何ていうのかな……。たとえば、今お昼休みで、『笑っていいとも』で“ウキウキウォッチングしてる”ところと、何ていうか、“人生の秘密”とは、“生命の神秘”とか、“永遠”とか、そういうのがピュッとつながるような曲が書きたいんですよね。それで、だから…。んー。
そのあとにある文章も好き
「試験が近くても全然集中していませんでした。集中したくてミニマリストのことを調べたのか、ミニマリストが興味深すぎて集中できなかったのかは覚えていませんが、皆一生懸命勉強している自習室で、僕は集中していませんでした。 」
これもリズムかな。「集中」という語の畳みかけ方がうまい。
やろうと思えばもっとかけるがこの辺にしておこう。きりがない。
バランスをとるため一応罵倒でもしておくか。
ジーンズと三国志の記事は一定の層に需要はあるかもしれんがワイは楽しんでないぞ。(特に三国志)
~FIN~