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畢竟独自の見解

刑罰目的論は最高ですか?

 

現在刑法の教科書に載っている刑罰理論を全く理解することができない。

学部一年生の頃,刑法を初めて勉強した時から現在に至るまでずっと変わらずそう感じている。現在の一般的な整理を徹底的にdisってやろうと思い,さっき色々書きかけたのだが,あまりの議論の混迷ぶりに頭に血が登ってしまい,消した。とにかく既存の刑罰目的論は全て死んでほしい。

刑罰の目的論ならわかるが,それとは別に刑罰の「本質論」という形で応報だとか目的刑だとかを捏ねくり回すのは本当に意味不明。「相対的応報刑論」とかも完全に意味不明。何が相対的なんだ?予防目的で刑罰を課すが,機能的には応報も達成されるという理解をするしかないと思う。

 

応報刑論と予防論のコンビネーションを許す,みたいな考え方が本当にわからない。

行為に見合った応報としては15年の懲役刑が妥当だが,当該行為者への特別予防としては10年で足りる(一般予防を考えるとさらに低く8年程度で足りる)と考えられるようなパターンを想定しよう。この時,コンビネーションを許すような刑罰目的論は何一つ量刑選択に貢献しないだろう。

 

小林憲太郎『刑法総論の理論と実務』の記述を紹介しよう。

「・・・わが国の刑罰法規は法定刑の幅が非常に広く,ある意味で,議会が裁判所に対して「あなたのところで適切な刑を決めて下さい」と委任している側面が否定できない,ということだ。ベテランの実務法曹は事実関係を見ただけで,瞬時に「刑はこのくらいかな」と的確に判断できる(むろん,実際にはきちんと量刑データベースも参照するが)。それは,そういった大役を議会から担わされているため,日々,厳しいトレーニングを積んでいるからなんだよね。・・・議会に代わって国民に対し,一定の体系的かつ説得力のある理論に基づいて,法曹がその量刑判断を正当化しなければならない,という意味でも「大役」なんだよ。こうして,量刑の判断が,実務家にとって刑罰目的論を身につけなければならない第2の局面となるわけだ。」(2頁)

何を言っているのかわからない。少なくとも日本のことではないと思う。

また,同書は,最判平成26年7月24日(刑集68・6・925)を紹介している。

「我が国の刑法は,一つの構成要件の中に種々の犯罪類型が含まれることを前提に幅広い法定刑を定めている。その上で,裁判においては,行為責任の原則を基礎としつつ,当該犯罪行為にふさわしいと考えられる刑が言い渡されることとなる が,裁判例が集積されることによって,犯罪類型ごとに一定の量刑傾向が示される こととなる。そうした先例の集積それ自体は直ちに法規範性を帯びるものではない が,量刑を決定するに当たって,その目安とされるという意義をもっている。量刑が裁判の判断として是認されるためには,量刑要素が客観的に適切に評価され,結果が公平性を損なわないものであることが求められるが,これまでの量刑傾向を視野に入れて判断がされることは,当該量刑判断のプロセスが適切なものであったことを担保する重要な要素になると考えられるからである。 この点は,裁判員裁判においても等しく妥当するところである。裁判員制度は, 刑事裁判に国民の視点を入れるために導入された。したがって,量刑に関しても, 裁判員裁判導入前の先例の集積結果に相応の変容を与えることがあり得ることは当然に想定されていたということができる。その意味では,裁判員裁判において,それが導入される前の量刑傾向を厳密に調査・分析することは求められていないし, ましてや,これに従うことまで求められているわけではない。しかし,裁判員裁判 といえども,他の裁判の結果との公平性が保持された適正なものでなければならないことはいうまでもなく,評議に当たっては,これまでのおおまかな量刑の傾向を裁判体の共通認識とした上で,これを出発点として当該事案にふさわしい評議を深 めていくことが求められているというべきである。」

何が何だかわからない。

刑罰の長さと再犯率の相関に関する統計などを見るならわかるが,一般的には公開されていない過去の量刑グラフ(ただの過去の事例の集積に過ぎない)から何択かの刑罰の選択肢を選んで何の根拠もなくえいやとド素人が多数決しているだけじゃねーかとしか思えない。幅広い法定刑を定めている法律は完全に視野の外にあり,裁判員は裁判官からおもむろに与えられた量刑グラフから取り出されたいくつかの選択肢しか見ていない。

 

刑罰は一般予防・特別予防を含む予防こそが目的であり,量刑は刑事政策的・統計的観点を取り込んで判断されなければならない。無味乾燥の量刑グラフは量刑判断プロセスの適切性を何ら認識的に正当化しない。

 

縷々述べたものは,法学を勉強し始めたその最初期に私が躓いたーそしてなお立ち上がれず先に進めないでいるー点を言語化したものに過ぎない。